以前、H&Mがブラックなので不買運動という流れを見たことがあります。H&Mで買えば買うほどベトナム人だかカンボジア人が不幸になるというわけです。

結論から言えば生産者がブラックかどうかは消費者には関係がないということ。そして不買運動などをすればさらにその従業員を不幸にするということを説明することにします。@
強制労働でない限りブラック企業で働くというのは従業員の選択である
ブラック企業で働いてるという人がなんでそこで働いていると思いますか?
自分で選んだからですよ…それ以外ありえません。かわいそうだと思うのは、ブラックだと思わずにブラック企業に勤めてしまったからです。以前の私もそうでしたね。
でもブラック企業に勤めていることは従業員自身の問題です。その選択を関係ない人が不幸だからやめなさい、私はあなたの不幸な職がなくなるように祈っているしそう行動する、と言われたらどうですか?
勝手なことすんなよ!って思いますよね。
H&Mの例ではH&Mは富をもたらしたはず
そんなブラックな会社でも労働者が集まるということは、そこにはそれ以下のブラック労働しか(あるいはブラック労働すら)なかったからなのです。水が高いところから低いところへ流れるように、仕事がないところに湧いて出たブラック労働に飛びついたからに違いありません。
なので、このブラック労働は単なる「悪」とみなすべきではなく、「無」の状態と比べるべきなのです。食うや食わずの人がブラック労働より無職の方がまし!なんて言うわけがありませんよね?
ブラック労働に対し不買運動を起こした結果生まれるのは失業
ブラック労働を課している企業のサービスは使わないとして不買運動をおこし、売り上げが下がったとします。するとブラック企業は従業員を解雇するでしょう。解雇された従業員は他で働けるかもしれませんが、仕事に就けない可能性もあります。すると不買運動の結果生まれたのは失業です。
ブラック労働がけしからんと言って不買運動を起こした人たちはこの「失業」について責任が取れるのでしょうか。
ブラック労働(ブラック企業)をするかどうかは従業員の自由選択
我々の身近なサービスにはブラックそうな仕事であふれています。牛丼屋さんなんかも結構ブラックそうですし、それでも皆よく利用しているでしょう。にもかかわらず自分に身近じゃなかったり、他に選択肢があるブラック企業だけ避難するのは偽善ではないでしょうか?牛丼もマックも食べますよね?(マックはブラックじゃないかもしれませんが)
当サイトではブラックだからBTOパソコンを非推奨にするということはありません
ブラック労働を課した結果人がいなくなるか、競争力が増して価格競争で優位に立つかという問題はただの競争原理に過ぎないと思います。多かれ少なかれベンチャー企業はみなブラック労働を課して競争してきたのです。
私もブラック企業出身でブラックな労働をいいとは思っていませんが、だからと言ってブラックだから商品を買わないというのも違うと思うし、ブラック労働をやめて失職しなさいと言える立場でもないと思う。
このような理由から当サイトでは別にブラックだからという理由でBTOパソコンを非推奨にしたり不買運動をすることはない、という言う必要があるのかないのかわからない話題でした笑
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